プロスピに藤村冨美男が登場!強いと評判の藤村冨美男のデータと古い選手なので知らない人のために歴史を解説していきます!

藤村富美男の能力が高い!

2023年12月29日(金)、株式会社コナミデジタルエンタテインメントのモバイルゲーム「プロ野球スピリッツA(エース)」(以下「プロスピA」)に、初代ミスタータイガースの故藤村富美男氏が初登場しました。

弾道「アーチスト」のミートが「82A」、パワーが「84A」などと記されています。

さらに特殊能力として「超アーチスト」、「広角打法・改」、「チャンス」が付いています。

また、藤村氏が持つ「物干しざお」と称された長いバットを振り抜く姿がモノクロのビジュアル写真に描かれています。

藤村氏は首位打者1度、最多安打2度、本塁打王3度、打点王5度など多くのタイトルを獲得し、1949年には圧倒的な成績を収めました。

そんな選手の人生と経歴もまとめていきます。

藤村富美男の人生と経歴

藤村富美男さんは、1913年に生まれ、長崎県出身で、身長は173cmで、本名は藤村凡夫です。

彼は小学校に入学後、野球を始め、中学校を卒業すると就職するつもりだったが、高校に進学し、4番エースとして甲子園で活躍し、「甲子園の申し子」と呼ばれました。

特に甲子園決勝の熊本工業学校戦では川上哲治を3つの三振に打ち取りました。

その後、彼は法政大学に進学する予定でしたが、父と兄の強い勧めで大阪(阪神)タイガースに入団し、1年目の1936年には初代本塁打王に輝きました。

その後、戦争の影響で選手生活を中断し、除隊後に復帰すると、1944年には打率3割1分5厘で阪神の優勝に貢献しました。

彼は打者としても投手としても活躍し、長尺のバットを使い、天性のショーマンシップを発揮し、日本プロ野球史上初のサイクル安打を記録するなど、観客を沸かせました。

また、安打数、本塁打、打点の日本記録も更新し、その活躍によって長嶋茂雄など他の選手も彼に憧れていました。

そして、彼は激しく抗議し、出場停止20日の厳しい処分を受けましたが、その後も彼は野球界で活躍し続け、長い間多くの人々に感動を与え続けました。

藤村富美男の息子と孫も甲子園へ出場

藤村富美男さんの家族は大変興味深いもので、息子2人と孫3人が甲子園でプレーしていました。

藤村さんは最初の奥さんとの間に1人の娘と2人の息子がおり、再婚後に次男が二人誕生しました。

長男の哲也さんは1965年春に育英高校(兵庫)の三塁手として、次男の雅美さんは1967年春に三田学園(兵庫)の三塁手として、甲子園に出場していたそうです。

藤村冨美男の家族は野球の成績も凄い

長男である哲也さんは、高校を卒業した後、法政大学に進学し、その後本田技研に就職し、野球部の監督を務めていました。

ただし、彼は父親の名前がついて回ることを重く受け止めており、そのために父親に関する話題を避けることがあると言います。

一方、藤村さんは子どもたちを大切に思い、ほとんど叱ることがなかったと言われています。

特に哲也さんは、父親から多くのことを学び、彼の影響を受けて剣道を始めました。

哲也さんは、父親から教わった素振りのことを挙げており、それは野球のスイングにも応用できると信じていました。

また、彼はパチンコ屋での出来事についても語っており、父親が裏で操作してくれていたのではないかと考えています。

さらに、哲也さんには男の子が2人おり、長男の一仁さんと次男の賢さんは甲子園大会に出場した経験があります。

特に一仁さんは、1996年夏、海星高校の代打として決勝でタイムリーヒットを放ちました。

しかし、インタビューで自分の力で打ったことを認めながらも、藤村さんの孫であることに戸惑いを感じ、大会中に父親の哲也さんに野球を辞める旨を伝えたと言います。

そこで、哲也さんは自身の経験を踏まえて「家族の宿命。

がんばれ」と励ましました。

藤村家の甲子園伝説

我々は、藤村家についての非常に興味深いエピソードを取り上げています。

1998年夏と1999年春、三重県・海星高校在学中の次男・賢さんが甲子園に出場し、「藤村」とアナウンスされた際、大きなどよめきが起こりましたが、それによって重圧よりも誇りに思えたとのことです。

なぜなら、彼は幼い頃にお父さんの哲也さんと同じようにおじいちゃんの藤村さんから教わった剣道の素振りをして打席に入り、タイムリーを決めたそうです。

その瞬間に、彼は「鳥肌が立った」と語っています。

また、藤村さんの次男の雅美さんと、その息子の光司さんも、2000年に育英高校の監督と選手として甲子園に出場し、「親子鷹」と呼ばれました。

更に興味深いことに、藤村家は春夏合わせて6回も甲子園に出場し、藤村さんの甲子園伝説は、子孫の代まで脈々と受け継がれているようです。

なお、藤村さんの弟でありプロ野球選手の藤村隆男さんも、1939年に春の甲子園に出場しています。

藤村家は甲子園と切り離せない境遇にあるようですね。